出雲黒柿|歪な形が美しい手刳りぐい呑み|おかや木芸


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黒柿 手刳りぐい呑み 

21,600円(本体20,000円)

サイズ:ひとつひとつ異なります。

黒柿は、墨流しで描いたような模様が特徴で、美しい木材として有名ですが、実は「黒柿」という種類の木があるわけではありません。微生物やタンニンなどが作用して、ごくまれに黒い模様が出た柿のを「黒柿」と呼びます。

手刳りの場合、職人の腕はもちろん、材料の切り出し方が重要になります。ぐい呑みに使うのは、木の成長の方向に沿って垂直に切り出す「縦木取り」したものです。強度があるので、器の縁の部分も薄く仕上げることができ、模様を推測しながら意図的に切り出すことができます。

職人が黒柿の塊を削り、刳り抜いて、ぐい呑みの形を作ります。人の手が作り出した形は、とても手に馴染みます。形を作った後、丁寧に磨き上げるため、滑らかな手触りです。

仕上げは、生漆(漆の木から採取した原液からゴミを漉したもの)を塗り重ねた拭漆仕上げです。「木地に生漆を塗り、布で拭く、乾燥」を繰り返すことで、水に強く、黒柿の木目を楽しめる器になります。表面は滑らかで、光沢があります。



国産黒柿使用、日本製

黒柿とは

樹齢数百年を越える柿の古木のうち、ごく稀に黒色の紋様があらわれることがあります。この紋様があらわれた柿を「黒柿」と呼びます。黒柿の模様や色はどれひとつとして同じものはなく、見るものを心を強く引きつける不思議な魅力を持っています。黒柿は、たとえ同じ土地や条件で育っても、すべてが黒柿になるわけではなく、全くちがう杢目や色になります。

黒柿の性質

柿材は硬く、密度が高いため加工が難しい材料です。黒柿の特徴として、黒い部分と白い部分で収縮率が異なるため、乾燥の途中で多くが割れてしまいます。製材後の乾燥にはとにかく気を使います。取り扱いの難しい木材ですが、磨けば磨くほどに滑らかな木肌になり、美しい艶がでます。数が少なく、高価な黒柿ですが、購入した黒柿がすべて完璧な紋様がでるわけではありません。見える部分では黒い紋様がでていても、いざ切ってみると材料として使えなかったり、一番よい紋様に虫が喰っているなど、作り手泣かせの木です。また黒柿は、何年も自然乾燥させる必要があります。長い年月を経て、ようやく材料として使えるようになります。

茶人松平不昧公と黒柿

1751年3月、江戸で生まれた松平治郷(はるさと)は藩主であった父の隠居により、16歳で松江藩主(現在の島根県松江市)となります。経済的に破綻寸前の松江藩を藩政改革によって立て直した後、茶道を究め、隠居後に不眛(ふまい)と号します。はじめは石州流を学び、後に自ら不眛流を立てることになります。
不眛公の影響は多大であり、菓子、茶道具などに「不眛公好み」として今に伝えられるものも多く、その中には黒柿を用いた道具が多く残されています。黒柿を好まれたと伝えられるところから、今日まで出雲地方には黒柿工芸が継承されています。松平家の菩提寺である月照寺の宝物館には、天目茶碗を納めるための黒柿の美しい箱が残されています。

正倉院と黒柿

正倉院御物の中には、黒柿を用いた工芸品が多く残っています。特に知られるものとして、厨子、供物台、箱、鞍(馬具)などがあります。また、御物の中には黒柿を用いた箱がいくつかありますが、お香を入れ、書面に香りを移すために使われる箱など、黒柿とお香のつながりのルーツをみることができます。また、用途は定かではありませんが朽ち木という黒柿の芯材を組み合わせて作られた箱も、のちの寄木細工につながる興味深い意匠です。

黒柿と日本文化

時代は下り、鎌倉・室町時代以降、武士の時代が続きます。この時代、仏教は臨済宗が力を得て、建築では書院の様式が生まれます。栄西が伝えたとされる「茶」は茶道となり、華道、香道といった日本文化の源流がこの時代にあります。相国寺(京都・臨済宗相国寺派本山)の塔頭のひとつに、総黒柿の書院があります。臨済宗の高僧と交流があった当時の教養人、中でもお茶の宗匠はその道具に黒柿を取り入れていきました。